教育日記・4 人を忘れずに(2)−中嶋嶺雄氏と「アイデンティティ」−

中嶋嶺雄氏(国際教養大学・前学長)が生前、入学式や卒業式のたびに薦めていた文献に 新渡戸稲造の『武士道』がある。 新渡戸は西欧人と接して日本人の精神とでもいうべきものを相手に伝える必要性を感じ、 それを『武士道』において自らの言葉で語ったのであった。 大切なのはそれを教条的に覚えるということでなく、自分なりに自分の拠って立つものを理解し、 それを共有して来なかった相手と共有しようとする姿勢、努力である。 そしてそうした必要性はそのような他者と接して初めて感じるものであり、 それこそが自分の「アイデンティティ」への気づきの瞬間である。 中嶋前学長は、留学中の学生が帰国までに感想文を提出すべき課題図書として、 この文献を指定していた。 それは日本から外国へと留学した学生が、新渡戸と同じような「気付き」の瞬間を経験して、 同じように自身のアイデンティティを確立することに期待していたからに他ならないからであろう。 自己を知って他者と交わる 同氏の関心はまた、そうした広い意味での文化的アイデンティティと合わせ、 個人の志や心的傾向を醸成する青少年期の自我形成という意味でのアイデンティティという ことにも向かっていた。 同氏は生前、国際教養大学の『グローバルスタディーズ概論』の授業で、 冒頭の講義を常に行ってきた。 その最後の機会となった昨年秋の講義で同氏が紹介したのは、発達心理学者 エリック・エリクソンの代表的著作、Young man Luther: a study in psychoanalysis and historyである。 宗教改革で名を馳せたルターの人生を規定した動機付けをその青少年期の生い立ちに求めた エリクソンを通じ、中嶋氏は「いまの自分を作ったものは何なのか」を学生に問うてほしかったのであろう。 同氏自身、自らの生い立ちを語ることがよくあった。 特に郷里・松本の信濃毎日新聞が掲載した同氏のインタビュー記事は この側面に優れて詳しく、同氏はこれを気に入って大学のウェブサイトの 自らの経歴記事からリンクし参照できるようにしていた。 グローバル化時代だからこそ、根なし草であってはいけない。 むしろ自身をより一層自覚し、他者と接して戸惑うことなく貫くべきところは貫き、 また、交渉して得るべきものは得る。 日本にあってグローバル、秋田にあってグローバル、とはそうした心の鍛錬が基になければならない。 「国際教養学」の根本思想はそういったところであろう。 秋葉丈志 2013. 6. 3 人を忘れずに(1)−中嶋嶺雄氏亡き後に− 戻る