教育日記・3
人を忘れずに(1)−中嶋嶺雄氏亡き後に−
国際教養大学(公立大学法人、秋田県)の創設者学長である中嶋嶺雄氏は今年(2013年)2月14日に急逝された。
日本に二つとない新しい大学を構想段階から育て上げ、教職員、そして特に学生に強く慕われ、
国際教養大学とその名を一つにしていた同氏の突然の辞世に一頃大学全体は言葉を失ったかのようであり、
こうした追悼の文章を書く筆も4ヶ月近く経た現在まで上げることができなかった。
6月2日に東京でも同氏のお別れの会がホテルオークラ平安の間で開かれ、
同氏が長年教鞭を取り学長も務めた東京外国語大学での30年近くに渡る「中嶋ゼミ」の卒業生たちを中心に、
各界、国・秋田県そして大学から多数が参列した。
そしてまたここにも卒業生たちの姿があった。
同氏が亡くなって以降、在学生・卒業生から寄せられた手紙・メッセージの数々には心底から
同氏を追慕し、感謝の言葉を連ねる文章が並んでいた。
大学の学長室の前、各建物の入り口などには写真のパネルとともにこうしたメッセージが掲示され、
同氏を描いた人物画、同氏への思いを集めた寄せ書き・アルバムが所狭しと並べられた。
大学の学長の死に際し、10代、20代の教え子たちが情感に満ちた追悼文を続々と寄せる様は、
大衆教育とともに人間のつながりの薄れた現在の教育現場で、稀有なものだったろう。
伝えるべきは人の思い
国家の政治、日本の国際的立ち位置を見据えた「グローバル化時代に対応した」大学教育へ向けた
同氏の創意工夫と情熱については、同氏亡き後各メディアがこぞって取り上げた記事に詳しい。
私が記しておきたかったことは、そうした先進的指導者である彼が、いかに学生の心を捉えていたか、ということである。
学生にとって大学は第一に人間関係であり、全寮制に近いこの大学ではその日夜の生活と交流であり、
その上に初めて学業や就職といったことがある。
全人的教育であるリベラル・アーツであればこそ、その出発点は個とその成す社会であり、
国際教養大学の教育の特徴もまた、その濃密な人間関係である。
ところが、いまたとえばこの大学の創設期を盛り上げた2004年入学の1期生たちについて、
その人間模様や大学生活の喜怒哀楽を伝える資料が何か残っているかと言えば、ほとんどない。
わずかに卒業アルバムくらいか。
そして、偉大な指導者であった中嶋氏と、学生たちとの間に芽生えた心の絆についても、
当人たちの心に強く刻まれているとしても、はや大学の記憶からは失われ始めている。
いまや国際教養大学のウェブサイトを探しても、中嶋氏の名前すらなかなか見つけられない。
早稲田が大隈重信を、慶応が福澤諭吉を、なんとか後世に語り伝えようとしたことの意義が
少し生身に感じられるようになったこの頃である。国家の将来を見据え強い志を持って考究の場を創設し、
師弟の尊敬と情熱、連帯をもって隆盛の礎を築き上げた創設者たちの心を忘れたくない。
大隈や福澤を記憶することはすなわち、創設に関わったすべての者たちの心を創設者亡き後も癒し、
奮い立たせる行為だったのである。
今日、新学長が就任し、大学は再び前へ進みだす。それとともに、過去、すなわち自身の存立の基盤を、
忘れてはならないと思う。
アイデンティティを大切にせよ、とは彼の遺言である。
秋葉丈志
2013. 6. 3
人を忘れずに(2)−中嶋氏と「アイデンティティ」−
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