消費増税法 成立に思う Commentary on the Consumption Tax Raise 消費増税法が参議院で188-49で可決され、成立した。 (衆議院では6月26日、363-96で可決済み) 衆議院では民主党内の小沢氏を中心とする反対で、参議院では衆議院の解散時期を巡る 与野党の駆け引きで、それぞれ直前まで採決の実施や法案成立が危ぶまれた。 しかし、いずれも最後は、民主・自民・公明の主要3党の間の合意(妥協)で可決に至った。 長年多くの政策関係者が必要性を認識しながら、政治家の決断力のなさのために 見送られてきた消費増税がこれで行われることになる。 首相のリーダーシップと覚悟、そして党内・与野党調整にあたっての一定の柔軟性を評価したい。 これだけ論争的な法案で、衆議院・参議院いずれにおいても野党の合意も取り付け、 可決へ導いたのは一つの成果と言えるだろう。 対立と妥協こそ政党政治 Conflict and compromise as a virtue in party politics 重要な問題であるほど、関係者の意見を幅広く聞こうと思えば、 対立や駆け引き、そして変遷は付き物だ。 今回も、増税の幅や実施時期、経済状況による見直し規定や 低所得者への緩和措置など、様々な面で交渉が行われ、妥協策が見出されてきた。 場所は変わるが、アメリカでもオバマ政権は「社会保障と税の一体改革」を目玉政策に据えている。 喧々諤々の議論と二転三転する妥協案の据えに成立した医療保険改革法は、 成立後も、州知事らが起こした憲法訴訟に発展し、保守化した最高裁で あわや全体が覆されるかというところまで行った(最終的には一部合憲・一部違憲)。 こうした「混乱」も、連邦制や個人の権利という、アメリカ憲法の重視する観点から必要な吟味のプロセスなのである。 政党政治の原点は、政策を巡る戦いである。 号令直下、何の異論もなくすっと一党の意見が通ってしまってもいけない。 議論と混乱が怖くて何もしないというのでもいけない。 意見の異なる人が各々主張を尽くすこと、また主張の場を求めてある程度、 対立や駆け引きを演じることは、結局のところすべての人の利益になる 「生産的な対立」と受け取めたい。 そうした対立によってこそ、多くの意見が汲み上げられるのである。 消費増税法の成立に至る対立と妥協の過程は、日本の民主主義の一定の成熟を 示しているものと評価したい。 増税に慎重な立場は「歳出削減」の具体策を No tax, no budget 増税にはなお慎重な意見も多い。 しかし、今回の議論の過程で気になったのは、そうした立場の人から、 「収入(税金)が現状のままでどのように支出を続けるのか」 具体的な提案があまり聞かれなかったことである。 抽象的に「歳出削減」というがどこをどう削るのか。 そうした歳出削減は、何らかの形で誰かに痛みを強いるものでもある。 たとえば歳出削減の対象として、額の大きい地方への交付金も考えられる。 しかしそれは、不況にあえぐ地方を一層窮地に追いやることになる。 (逆に今回の増税によって、地方への交付金も増えることになっている) あるいは国の支出の大半は社会保障費や教育費である。これを削減すれば 医療費の自己負担が増えたり、学校教育に回るお金が減ることになる。 議員定数の削減なども言われるが、議員を100人削ったところで 浮くお金は年数十億、年間一兆円膨らむと言われている社会保障費の 初年度増加分の1%も賄えない。 税を上げずにいようとすれば、社会保障の大幅カットを含め、並々ならぬ歳出削減が必要になる。 国の支出の多くは、人間の生活がかかったものである。 削減を口で言うのは簡単だが、容易なことではない。 歳出削減を主張する以上は、それを踏まえて具体的な提案をする責任がある。 (2012. 8.10 秋葉丈志)(9. 2改) なお本編は主に政治過程についてのコメントであるが、消費増税そのものについての 私見はこちらに詳しく記した。 戻る