連邦最高裁「正義の言葉」(その2)
秋葉 丈志
コレマツ対アメリカ合衆国(1944年)
KOREMATSU V. UNITED STATES, 323 U.S. 214 (1944)
“I dissent, therefore, from this legalization of racism...
私はこのレイシズム(人種至上主義)の合法化に反対する。
It is unattractive in any setting but it is utterly revolting among a free people
who have embraced the principles set forth in the Constitution of the United States. ”
レイシズムはいかなる場合も醜いが、分けても、合衆国憲法の打ち出した原理を受け入れ、
自由を享受する人々にとって、一際受け入れ難いものである」
「言葉」の解説
往々にして一時の少数意見が後の多数意見になることがある。
この言葉は、第二次世界大戦中のアメリカにおける、日系人の強制収容の
是非を問うた裁判の最高裁判決で、マーフィー判事が述べた。
多数意見は、軍事的必要性に基づく強制収容を容認した。
当時の政府・軍の見解は、西海岸において、日本軍が来襲する懸念があり、
西海岸に居住する日本人や日系人の中にこれに協力する者があるかも知れない、
従って、日本人も日系人も内地に設けた収容所へ強制移住させる必要があると
いうものだった。
多数意見はこれに同調したものである。
しかし、真珠湾の奇襲に始まる日本との戦争で全米が反日感情に包まれていた中で、
むしろ9人中3人の判事が強制収容を違憲とする少数意見を述べたことは注目に値する。
マーフィー判事(*)は、日本人・日系人を収容する根拠が薄弱であること、
その多くは日本人についての思いこみや風評、推測に基づいていること、
また仮にごく一部に指摘される懸念が当てはまるとしても、すべての
日本人・日系人を、個別の審査もなく一括りにして収容することは不当であると論じた。
強制収容所に送られた11万人のうち、アメリカ生まれ・アメリカ国籍の者は7万人とされる。
そもそも合衆国憲法修正14条の趣旨は、アメリカで生まれた者に一律に
アメリカ国籍を付与することで、かつての奴隷制のような身分の固定化を防ぐことにあった。
その結果、親が外国人であっても子どもはアメリカで生まれれば自動的に国籍を取得する。
その点で、祖先が日本人であるというだけで、アメリカ生まれの子どもたちまでに
疑いの目を向け、収容所に送り込む措置は、人を人種や身分で
一括りに判断するべきでない、という修正14条の基本的理念に反する。
少数意見はこの点を鋭く指摘した。
しかし「軍事的必要性」という大義名分の前に、日系人は強制収容という屈辱を経験する。
裁判所の多数意見もまた、その大義名分に抗することができなかった。
流れを変える
人種偏見の打破に動いたのは収容された日系人たち自身である。
アメリカ軍に入隊し、アメリカの側で戦争を戦うことで自分たちの忠誠を証明しようとした。
彼らは442部隊という日系人部隊を構成する。
皮肉にも、忠誠を証明し、平等な取り扱いを求めるこの場面でも彼らは人種で分けられた。
(もっとも、この時点でのアメリカは人種分離が一般的であった。)
そしてヨーロッパ戦線での激しい戦いぶりが大統領に礼讃され、多くの勲章を授かるに至る。
そのさらに40年余り後、1988年には、レーガン大統領のもと、
日系人強制収容が不当であったとして連邦議会が補償法案を成立させ、
強制収容された者に大統領からの謝罪文と一人当たり2万ドルの補償金を支給することになる。
人種分離や人種差別が憲法違反であるとの主張は、修正14条制定直後から、
主に黒人たちによってなされていたが、日本人・日系人もまたその主張を展開し、
裁判所で争っていたことを忘れてはならない。
修正14条は人種を越えた享有財産となりつつあった。
マーフィ判事の少数意見の立場は次第に説得力を増し、人種分離を違憲とする1954年のブラウン判決も、
こうした流れの中で生まれてきたものである。
*マーフィ判事 (通名 Frank Murphy, 正式名 William Francis Murphy)
デトロイト市長、合衆国統治下のフィリピン総督、ミシガン州知事、
合衆国司法長官を経て、連邦最高裁判事就任。
連邦最高裁の判事は、多様な経歴を積んだ者が選ばれることが多い。
憲法判断など、高度の政治的感性や大局観が求められる場面で
9人の判事の豊かな経験が織り交ぜられる。
判決全文 (FindLaw)
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