教育日記・1
学生たちに囲まれて
大学教員生活も5年目に入り、この仕事の全体像も段々見えてくるようになった。
その一側面として、大学に入って、学び、卒業していく学生たちの流れを一貫して
感じることができるようになった。
務め始めて1、2年目はいま授業を持っている学生、接している学生で手一杯の毎日だった。
別の見方をすれば、学生たちの人生の中のその一瞬だけに接していたことになる。
しかし、去年、今年あたりから、接する幅がぐんと広がった。
まず、卒業した学生たちが大学を訪ねてきたり、同窓生の集まりに呼んでくれたりする。
逆に、高校への出張授業やオープンキャンパスの模擬授業に参加したという学生たちが、
入学して「私高校生のとき先生の授業受けました」と言って来る例も増えた。
学生たちのある瞬間だけでなく、大学に入学する前から在学中の試行錯誤、そして
卒業してからの社会人としての成熟まで。それを全部見られるようになってきた。
いろいろな人のいろいろな人生に、近い距離で接することができる。
この仕事の醍醐味だと思う。
昨日は、大学の学園祭だった。毎年この時期は学会等と重なりなかなかいけないのだが、
今年は論文の締め切りで出張どころでないので、逆に学内を歩く時間を取れた。
そうしたら、少し歩くごとに、数分ごとに、在校生や卒業生が声をかけてくる。
もちろん在校生には出店の食べ物を買ってもらいたい、という動機もあるのだろうが...
それ以上に、人懐っこい声で呼びかけてきたり、飛び跳ねたり、目を見開いて
懐かしんでくれたり、駆け寄ってきたりしてくれるのがうれしい。
アメリカにいた小学校3年生の頃の文集に先生になりたいと書き、早稲田時代には
教職課程を履修、さらにバークレーの大学院時代に私の教員としての訓練を指導してくれた
先生には「天職だね("You found your calling")」と言ってもらえた。
その頃にも書いたように、学生たちが寄ってきてくれるのは、自分にとって一番うれしいし、
日ごろはおとなしく地味で、一人でいることの多い自分に、
逆に多くの人に囲まれる役割があることは幸運だと思う。
学生たちが、自分から得られるものがあると思って寄ってきてくれるなら、
与えられるものは全部与えたい。与えることが幸せだし、与えようとして
実は自分が得ているものが大きい。それが教育の世界だと思う。
(2011.10.11 秋葉丈志)
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