時勢雑感−東京のから騒ぎと地方の寂しさ−


東京と地方の深いギャップ −急な衆議院解散総選挙となった。しかし、地方、ことに秋田のようなところにいると、 選挙どころでないし、選挙をやるような何かしらの盛り上がりも感じられない。 −東京の空気と秋田の空気のギャップは、年々深まる気がする。 東京はオリンピックも控え、都心は高級マンションの建設ブーム。一部屋「億」単位の部屋が飛ぶように売れるという。 −秋田は日本一の人口減少率。100万人台の人口で年に1万人、つまり1%ペースで人口が減って来たが、 最近ではついに7ヶ月で1万人減らすという危機的状況である。 −秋田では「市」といえでも人口は3万人程度のところが多く、町は1万人くらい、村は数千人。 つまり、人口減少は「1年に一つ、町ごとなくなる」数字である。 −世代を越えて継承されてきた伝統文化はどれも危機に直面し、もっとも有名な「なまはげ」でさえ、 担い手が足りなくて途絶える集落が増えているとのこと。続いている集落でも、かつて20代、30代が 担っていた役を高齢者が担うとか。次の世代にはつながらない可能性がある。 −求人広告を見れば、バイトの時給は600−700円台が普通で、正社員の月給は12−15万くらいか。 その分、家賃などの物価も安いが、たとえば子どもを大学に行かせることを考えれば、大学の学費は そこまで安いわけではないので、やはり金が足りなくなってくるだろう。 国の構造の問題 −東京の政治家がいう「地方創生」は、実感がこもっていない。地方の工夫の問題というのは、問題を矮小化している。 −工夫である程度の向上は望める。たとえば、国際教養大学は、地方にありながら、全国から受験生が殺到し、 大変な高倍率・難関の大学となっている。どこへ行っても、おもしろいものには人が集まる。 −しかし、最後は仕事がなければ、人は残らない。残りたくても残れない。 −地方の衰退は国策、国の構造の問題であるということに東京は気付くべきである。 地方がいくら工夫しても、荒波に逆らうようなものであり、莫大な資金が東京へ投下されていく世の中では、 到底流れは変え得ない。 −たとえば、東京、名古屋、大阪は新幹線がつなぎ、空路がつなぎ、高速道路がつなぎ、そのうえ 今度はリニアを通すという。日本海側にそのどれか一つでもあるだろうか。ない。日本海側のどこかへ行くのに、 飛行機でも電車でも、基本的に一旦東京へ出た方がよい、というくらいの状況である。 −これは単に交通網の問題ではない。交通の不便は、人的交流を阻害している。 たとえば大阪や名古屋から秋田へ人を呼ぼうとすれば、新幹線なら東京経由で5万円、飛行機なら6万円かかり、 大変な高額である。 だが東京へ行くなら、夜行バスなら往復1万円台、飛行機でも3万円台で、大幅に安い。 日本の仕組みは、すべて東京へ行くのは安く済み、地方間での移動は大変な高額がかかる。 だから、学会もイベントも、あらゆることがすべて東京での開催となる。 −師走も近い東京は人に溢れ、物に溢れ、街頭は光り輝き、別世界である。次々と商店が閉まっていき、 新聞には毎月のように廃校や統合、閉店・閉鎖、縮小の話が踊る、 それが東京の外の大部分である現状をどうするのか。選挙で聞きたいとすれば、そこである。 秋葉丈志 (2014.11.24) 関連テーマ: 一票の格差と地方 戻る