100億円の理不尽:軽すぎる巨額横領の処罰 大王製紙の前会長が子会社の資金を個人的に借り入れ、流用したとして、 特別背任罪で起訴されている。 借入の額は165億円に達する(MSN・産経ニュース12月22日)とされ、 このうち55億円分について起訴されている。 大王製紙は、この9月の中間決算で、返されない恐れがあるとして 44億円の特別損失を計上し、会社の純損益はは28億円の赤字に転落した (朝日新聞12月14日)。 資金は主に海外でのギャンブルにつぎ込まれ、負けを取り戻そうとして 余計深みにはまったようである。 会社の管理姿勢などいろいろ問題はあるが、疑問に思うのはこうした 巨額の流用への感覚の麻痺である。本人のみならず、社会全体が 麻痺しているような気がしてならない。 世の中、目に見えるもの、直感できる額の盗難への義憤は大きい。 たとえば、衣料品店で服を万引きして捕まったとか、コンビニでおにぎりを 万引きして捕まったというような社会面記事を日常的に見かける。 こうした100円、1000円単位の盗難に対して、世の中は厳しく、 犯人は逮捕され、かなりの確率で起訴され、刑事処分も社会的制裁(免職など)も受ける。 ところが、その何100万倍もの額の資金の流用に対して、社会は 余りに寛容で、無感覚ではないか。 会社の資金の私的流用は、盗みとは違うのだろうか。 そのお金は会社のためではなく、豪遊に使われた。 麻布のクラブでは、グラスの下にコースター代わりに1万円札を10枚置いて、 飲み干したホステスに与えたり、マカオに渡航すれば一度に5億円を 使うこともあったという(MSN・産経ニュース11月22日)。 会社のお金をも自分の財布代わりにした豪遊ぶりによって、 会社は大幅な赤字に転落し、事業計画は狂い、少なからぬ損害を被る株主が出る。 これは他人の通帳からお金を引き出して自分のために使った、または 他人のお金を不当に奪った、ということと同じ(*1)ではないのだろうか。 転倒した罪の軽重 たとえば、ホームレスの人間が、空腹のあまり、100円のおにぎりを盗んだとする。 一方では、会社のトップが、子会社の資金を、豪遊のために百億円も流用する。 一体、どちらの方が罪が重いというのであろうか。 100円ならいいというわけではないが、後者の方が額を見ても 動機を見てもより重いと考えるべきではないだろうか。 ところが件の前会長は3億円の保釈保証金を支払って保釈されたという。 そして「黒いスーツ姿で迎えの車に」乗り込んだ(毎日新聞12月23日)。 他方でこれより程度の軽い窃盗でも、保釈されることなく未決拘留 (判決が出るまで拘留)され、そのまま有罪判決を受けて服役する例もある。 100円のおにぎりを盗んで犯罪者となり、惨めな生活を送る者もいれば (100円ならいいと言っているわけではなく、比較の問題として)、 100億円を流用しても社会復帰し、当面不自由のない生活を送れる人もいる。 とんでもない理不尽と無感覚がまかり通っているものだと、思う。 (2011.12.25 秋葉丈志) *1 子会社が借り入れに応じても、それが正規の手続(双方の社内決裁)を経ていなかったり、 圧力によるものであったり、私的流用目的であれば、会社としての合意のもとでの 貸し借りとは言えないだろう。 会社の事業のために合理的な額を借り入れ、誠実に事業を進めたにも関わらず損失が発生した、 というような場合とは話が違うのである。 戻る