時評:「女性枠」入試と憲法 この5月、九州大学が理学部数学科の入試で「女性枠」を設けようとして 撤回する件があった。後期日程で定員9人中5人を女性枠として 確保するものだった。女性の研究者や学生が少ないことから、 それを是正する方策として提案されたものだ。 これについて、男性に対し不公平である、などという反発のメールが 大学に寄せられたほか、「憲法の法の下の平等に違反する疑いがある」 という指摘もあって、大学が方針を撤回したという。 しかし、憲法上の議論については、もう少し検討の余地があると思う。 アメリカの事例はもう少しニュアンスがある 「憲法上の疑義」は、おそらくアメリカの大学入試における 「積極的差別是正措置」を巡る論争を参照しているのだろう。 アメリカでは、黒人に対する根強い人種差別の結果として 黒人の大学入学率が白人に比べて著しく低いことから、 1960年代以降、入試において特別措置を導入する動きが現れた。 これに対し、白人の側から「逆差別ではないか」という反発が起き、 合衆国憲法の「法の下の平等」(政府は法的差別を行ってはならないという 趣旨の規定)に基づき提訴する事例が相次いだ。 しかし結論から言えば、人種に基づく積極的差別是正措置は、 必ずしも違憲ではなく、目的と手段次第というのが現在までの 連邦最高裁判所の判断である。 この件についてのもっとも新しい判断(2003年*注)は、 差別是正という観点よりも、異なる人種や文化の人間と交わる力を 大学生の間で育むことによって、アメリカの国際競争力を高める、 という教育政策上の配慮からの人種的多様性(diversity)の確保を 憲法上も正当な目的と認めた。 但し、そのやり方として、マイノリティであるという理由だけで 大きな得点差を覆すほどの加点を一律に行うことは行き過ぎとした。 (目的が正当だからといって何をやっても許されるわけでないのは 一般常識でも言えることである) 個別の出願者について、様々な要素を考慮する中で人種をも一つの 要素とするのは合憲ということである。 「疑義」=「違憲」ではない このように「憲法上の疑義」といっても、あくまでも「疑義」であって、 実際に合憲か違憲かは判断が分かれるところである。 従って、単に「憲法上の疑義」を一部の人が指摘したから 方針を撤回したとすれば、やや性急と言わざるを得ない。 法の下の平等に基づく「憲法上の疑義」を言うならば、 正社員と派遣社員の間の様々な区別を容認する公的制度や、 公務員試験の受験資格などにおける公的な年齢区別、 公立の高校や大学による出身校・出身地を指定しての推薦入試なども、 「違憲の疑い」はあると言える。 これらはいずれも、職務遂行や学業に求められる能力以外の 要素で必要以上の差異を設けていると主張することもできるからである。 しかし、実際にその主張が妥当とは限らないし、裁判所が 違憲判断に至ることはとても少ないのである。 (日本の最高裁の違憲判決は、現憲法下60年以上でわずかに8件) 詳細は憲法上の細かな議論になるので下に別記するが、 結論から言えば、日本の男女格差の現状やこれまでの判例に照らして、 女性を理系の大学に入学させるために大学が入試上の特別の 配慮をすることは、教育政策上の問題として、憲法上も合理的と 認められる可能性が高い。 憲法の理解を 憲法が人によって様々に解釈されうることを、政策を決める当事者も、 それを報じるメディアも認識し、「疑義」の有無=「違憲」「合憲」 ではないという憲法感覚を持つことが大事である。 「犯罪の疑い」=「犯人」と限らず、逆に、疑いをかけられなくとも犯人で あった者がいることは、近年の冤罪事件でようやく認識されるようになった。 同じような意識・感覚が、憲法に関しても求められると思う。 ----- *注 ミシガン大学の学部入試及びロースクール入試を巡る Gratz v. Bollinger及びGrutter v. Bollinger両判決。 (2011. 8. 2 秋葉丈志) (2011. 8.10 改訂1=加筆修正) (2011. 8.16 改訂2=参考リンクを追加)
別記 (1)アメリカの文脈では、積極的差別是正措置(affirmative action) のうち、「人種別枠」を設けることは早くに違憲(UC v. Bakke, 1978)とされ、 その後、加点制などの方法について、その都度憲法訴訟が提起されてきた。 しかし、アメリカと違い、日本はあらゆる理由で「別枠」を設ける慣行が 入試や就職で定着していて、アメリカと同様には論じられない側面がある。 なお、ノルウェーなどは、「女性別枠」を社会政策で積極活用している。 (2)また、アメリカでは人種による区別に関して裁判所が最も厳しい 違憲審査(strict scrutiny)を行ってきたが、男女による区別に関しては より政策的考慮を認めてきた。 男女による区別も近年比較的厳しく審査されるようになっているが、 人種による区別と男女の区別は必ずしも同列でないことを考慮する必要がある。 (3)さらに、区別と言っても、差別にあたるかどうかはその文脈による。 もしあらゆる男女の区別が違憲であるなら、女性政策を推進する政府の 部局や予算の存在も違憲ということになってしまう。 結局のところ、区別が違憲性を帯びる差別と言えるかどうかは、 政策の目的や関係者の意識、社会的文脈や影響などの総合的考慮による。 参考 積極的差別是正措置について以前書いた記事 秋葉丈志 研究・教育サイトに戻る