時評:原発再稼動要請と安全性の確保



根拠不明の「安全宣言」

福島第一原発事故から3ヶ月、まだ事故やその後の対応を巡って
検証が始まったばかりという段階なのに、経済産業省が
停止中の原発について「安全宣言」を出し、再稼動を求めているという。

そもそも、どうやって事故がおき、その後の対応のどこが
まずかったのか、まだ分からないことが多いのに、
なぜ事故が再び起きないという安全宣言が出せるのだろうか。

たとえばベントの実施について、いつ・誰がどういう指示をしたのか、
現場の対応はどうだったのか、未だに情報は錯綜している。
そんな状況で、今後の事故予防に必要な態勢や手順の確立ができるのだろうか。
問題点がわからないのに問題を解決したとはまるで手品である。


経済的事情と安全判断は独立のもの

奇しくも同じタイミングで発表されたIAEAの報告書は、
福島原発について、2002年に東京電力が津波対策を施したが、
それが十分なものであるか政府は精査せず、対策が不十分だったと指摘している。

今回も同じ過ちの繰り返しにならないだろうか。
電力会社の「対策を取った」という返事を鵜呑みにして、
その実効性を厳密に検討していないのではないか。

今回の件は、経産省に安全判断を委ねるべきでないことを実証している。
経産省が、いまの時期に原発の再稼動を求めたのは、「産業の空洞化を避けるため」
「夏場の電力需要に間に合わせるため」といった、経済的な理由からである。

しかし、経済的事情と、原発が安全と言えるのかどうかは本来、別問題である。
安全対策を担う機関の独立が必要なのは、まさに今回のような
「経済事情に安全判断を従属させる」発想を避けるためと言える。

原子力保安院や原子力安全委員会は、今回の再稼動要請の
前提であるはずの事故対策・対応手順について、どれだけ議論したのだろうか。

世界史的な原発事故を起こしてしまった日本が、国際社会に対して最低限
果たすべき責任は、事後処理・再発防止に、徹底した対応を示すことだと思う。


(2011. 6.21 秋葉丈志)


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